生まれて初めてひき逃げされる の巻

こんにちはー廿です。
マジで表題の通りなんですが去る5月16日にトラックに轢き逃げされました。
ごめんね〜ボクの父さんが、車で君を轢いちゃって…じゃねーよ!轢かれたんだよ!
二日経って心身も身辺も何となく落ち着いたので記事にしてみます。



まあ先に概要(ネタバレ)を書いてしまうと
・左足甲〜指にかけて骨折したり縫合してもらったりしたけど他は大したことはなく命に別状はないぜ
・19時頃に私を轢いた後逃げたトラック運転手と見られる人はその日の22時頃には身柄を拘束されていたぜ

という感じです。
同じように交通事故に遭われた方が検索してこのページを開いた時に何か参考になるといいな〜という訳で以下は今思い出せる限り順を追って書いていこうと思います。いつもに増して長くなりそう。




5月16日の19時頃、私は家に帰る為に雨の中を雨合羽的なものを着て、傘無しでフードを被って歩いていました。
途中車道が「ト」が左右反転した形になっているルートがあるのですが、短い棒の方を下から上に跨ぐ感じで移動している時に事故に遭いました。
短い棒は一方通行の道で上下は信号機のない横断歩道で繋がっていて、そこを徒歩で渡っている際に左側からトラックが突っ込んで来て、横断歩道上で接触
トラックの運転席側(右)の正面に、私の左半身…頭側面、左肩、左太ももがぶつかり、そのままゴリゴリっとトラックに接触したまま右に移動。多分この間1秒程度なんですがよく覚えてるんだよなあ。
で恐らく押されながら後退し、ふんばって立っていたのでしょう。左足だけ前に出したまま。
トラックがそのまま右に進んでこの時運転手の人と目が合いました。やっぱりこの間も1秒あるかないかだと思いますが明らかに「やべっ」という顔をしていて、若い男性とか髪が長いとか割とよく覚えてるんですよね…。
そしてトラックは右に移動し続け、右側前輪で私の左足を轢いて通り過ぎ、私が前輪と後輪の間に立つ位置で停車。要は横断歩道の上ですね。
トラック側は曲がろうとしている訳でもなく直進してきて横断歩道に突っ込み私を轢いています。「ト」の縦に長い棒は一方通行の短い棒より広い車道なので、そこに合流しようとしているのでしょう。
私がその場で立ったまま痛みで硬直している間、横断歩道上で止まっている車からは運転手が降りてくる気配はないので、「このまま広い車道に逃げるんじゃないか?」という予感が脳裏をよぎりました。
とにかくこのままこの場にいて更に轢かれてもヤバイのでトラックの裏側へ回避…と、トラックのナンバープレートが。携帯で撮ろうとしたけど最近変えたので手際よく使えない、以上に痛みで手元が覚束ねえ…。ムリ…。
もう諦めて覚えて誰かに直ぐ教える方向にシフト。一応読んだところでトラックは右折して広い車道へ入り、行ってしまいました。
家に帰る私とトラックの向かう方向は同じだったようです。「痛みが最大値になる前に歩いて家に帰れるかなあ?」とか痛みのせいかアホなことを考えながらトラックを追う形で「ト」の縦棒の上側へ移動。
遠くに見える私を轢いたトラックがその先の横断歩道で引っかかっているのが見える…もう下りてくる気配ゼロ。マジで逃げる気マンマンだな。当然そのまま視界から消える。
何でそう思ったのか謎ですが小雨が降っていたので「雨がしのげる場所」と思い、進んだ先の靴屋の屋根の下に横たわりました。歩いている時左の運動靴の中がジュプジュプ言っていて、雨かな?血かな?と考えていました。今思うとどう考えても血だろう。



もうこれ以上歩きたくない歩けないと靴屋の前に横たわり、携帯で119に電話。本来なら110にかけるべきなんだそうですが、そんな判断力もなかった。
靴屋の前に電柱が立っていて、高松なんとやらと住所が書いてあるのでそれを伝え、ついでに忘れないうちにナンバープレートの内容を伝えました。他は氏名や状況など。
この位から「マジ痛い」から「ヤバイくらい痛い」に変わっていって、早く救急車来ないかな〜で脳内が埋まり始める。
死ぬ程の怪我ではないだろうけど一応家族にも電話。親の携帯にかける。出ない。オイオイ…。
諦めて自宅に電話。119からこの間通行人が何人か靴屋の前で行き倒れている私を見ていながら通り過ぎる。
スーツを着たサラリーマン風の兄ちゃん、ロングスカートでヒール高いのサンダルの姉ちゃん、アベック、変なおじさん…サラリーマン以外全員私を凝視し目も合っているのにそのまま前を通り過ぎるもんだから異様によく覚えている。
電柱に書いてある。ここは高松。なんてクソみてえな人間しか住んでいない区域なんだ。
まあ今冷静に考えると全員「交通事故に遭い行き倒れている人間を見捨てる偶然高松を通りがかったクソみてえな人間」達なだけだったかも知れないんですが。
とか思っていたら自宅に電話が繋がる。出た妹に轢き逃げされた事を親に伝えるように言いました。
もう他にすることもないので横たわって痛みで呻きながら救急車を待つ。体感10分くらい待ったかも知れない。これはおそらく最初に119にかけてしまったのが原因の一つで、119の方から110へ連絡をする手間ができてしまったから多少遅れてしまったのではないかと思います。
すると車道を挟んだ反対側の歩道で二人組の女性がこちらを見ている…。


なんと歩道を繋ぐ横断歩道をわざわざ渡って、その二人の女性は私に駆け寄って来て「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたのだ!
近くに来てくれて初めて気づいたのだが彼女らは中学生か小学校高学年だ。子供って純粋だなあ!
本当に感動した…!私もいつか行き倒れてる人を見つけたら絶対声をかけるぞー!!



「ちょっとトラックに轢かれてしまって…救急車がなかなか来ないんで再度連絡してみてもらえませんか…」と痛みで震えながらもお願いしました。
おそらく彼女達もこれが人生初めての経験でしょうが、119にかけてくれて、混乱させないようにさっき連絡した旨を伝えるように頼みました。ナンバープレートの内容を再度聞かれたので、まだ覚えていたので伝えたり。
そうこうしていると私の携帯にも親から電話が。やっと繋がったので家の近所で行き倒れていること等を伝えました。すると女子二人が「向こうに救急車が来ている」と伝えてくれました。
轢かれた横断歩道近くに止まってるらしいので呼んで来てほしいと伝える。彼女達がいなかったら、救急車が私が倒れている所まで来ない可能性もあっただろうなあ。
彼女達が救急車を呼びに行ったのと入れ違いくらいに自転車の警察官(巡回している警官の方?)の方が私の所へ。
こちらの方にも轢き逃げに遭った件、ナンバープレートの内容を覚えている範囲で伝えました。
そして遂に救急車も目の前に。やったー。本当に女子二人には助けられたのですが、とにかく本当に感謝していると伝えようと必死にお礼を言っていました。名前を聞く等の発想はその時全く出てこなかったのだ…うーん。



そして担架に乗せられ救急車の中へ。やはりと言うかなんと言うか、左足がヤバイくらい痛くてズキンズキンと脈打って動かせないことを除けば他は普通に動かせるので担架に乗る時も救急隊の方の介助を受けつつも半分は自力で乗れました。
救急車に乗ったのは中にかけてあった時計で大体19時半。119にかけたのが電話の履歴で19時11分。事故が起こったのは19時10分でしょうから、轢き逃げされた20分後に人生初の救急車搭乗となった訳です。



救急車に乗り、私は事故の状況や症状など説明しつつも基本的に痛すぎてずっと呻いていましたが救急隊の方は血圧や体温を見るなどテキパキと作業を行っていきます。
あまり覚えてないけど体温が七度九分と言っていたのは覚えている。怪我すると体温上がるんだなあ…と感想を抱いたので。
患部を見る為に救急隊の方が靴を脱がし、靴下を「破いてもいいですか?」「どうぞ…お願いします…」と会話を経てハサミで切ってもらいました。
私はこの時に痛みのボルテージがMAXだったのと、ブシュブシュ言ってたことなどを思い出して絶対に左足を見ないようにしていました。
救急隊の方にも思わず伺いました。「見ない方がいい感じですか?」「ええ…まあ…」絶対見ないぞ!
救急隊の方が見たり触ったりしながら専門的な会話をしているのですが「ああ…これは…」「プラプラ」「断絶してる」等断片的にヤバそうな単語を耳が拾ってくる。まあヤバいだろうなあ…メチャクチャ痛いもんよ。
痛みのあまり膝がガクガク勝手に動くしパンパンに腫れている感覚とズキンズキンと脈打ってる感じ、あと軽く指がもげる位の痛さ。
なんか足から上も見ないといけないらしくて救急隊の方にズボンも切って良いかと聞かれたんですが、最近1万円で買ったサウナスーツのズボンだったのでスボンは切らないで下さいとお願いしました。
その前後かで左の足首や膝などを動かせるか、感覚があるのか聞かれたので、動かすと足の甲や指に痛みが響くものの動かせたので、必要がないと判断してもらえたのかも知れません。
この辺りで救急車に母が乗り込んで来ました。さっきの電話を聞いて事故現場にやって来たらしい。
乗り込んで来た第一声が「自転車どうしよう?



うおおおおおおおおおい
ここまで乗って来た自転車を救急車に相乗りして病院に行った後どうするかを子供の安否より先に心配するのかよおおおおおおおおおおお
自転車なんて後で考えればいいだろ!家族に取りに来てもらえばいいだけだろ!
なんて冷酷な!冷たい!酷い!と書いて冷酷だぞ!!

轢き逃げに遭った実の子供より先に自転車を気にするなんて…まあでも来てくれただけマシか。



そこへ母の携帯へ妹からメールが。自宅に電話した際に出たのも妹でした。
文面は「今日の夕飯何?


てめえええええええええらあああ

何で兄弟の命<<<<<今日の晩飯なんだよおおおおおおおおお
親子揃ってちょっと酷すぎないですか!?勘弁して下さいよもう…

酷いよ!あんまりだよ!こんなのってないよ!!
これには救急隊の方も苦笑い。
当然ですけど全部ノンフィクションですよ恥ずかしながら…。



そして救急車の中で暫く待機。
聞いてないけど母が「すごい血まみれだよ」と教えてくれた。「え!?」救急隊の方が「いえ、そんなに出てないですよ」と即訂正。「ああ…なら良かった…」靴の中ジュプジュプ言ってたけど。
「感覚がなかったりする?」と母に聞かれた。「こんなに痛かったら感覚がない方がマシですよ」マジで。
この時は痛みの最大値に達していて、本当に呻くことしかできないし勝手に呻いてしまう感じでした。
母がいてくれたので精神的には多少楽なんですが、痛みはどうしようもありませんでした。この時間が地獄のように長く感じました。
そして救急隊の方が新宿の病院に運びますと教えてくれました。この時20時前くらい。救急車の中に入ってから30分程経っているので実際長かったんですね。
時間がかかったのは受け入れ先の病院がなかなか見つからなかったからに他なりません。救急隊の方曰く、時間も19時半過ぎていて閉まっている病院が多いし私の症状だとレントゲンを撮ったり、縫合したり、骨折の程度によって手術の必要もあるとかで可能性を考えて全てに対応できる病院に向かわなければならないそうです。なんて有難いんだ。
事故のあった練馬区(だっけ?)から新宿区の病院へ移動。痛すぎていつ到着したのか分かりません。とりあえず救急隊の方には別れの際にその時できる限りでお礼を言いました。意識があるんだから礼を軽んじてはならない筈だ。



病院に着いたら左足のレントゲンを取り、診察室に運んで頂いて暫し一人で待機。という名の放置。
先客が2、3名いて敷居越しに脳梗塞で倒れただの何だの患者さんとお医者さんの会話が何となく聞こえる。痛くて真剣に聞く気もないけどみんな大変なのは同じだなあ。
相変わらず人がいようがいまいが呻くことしかできない。敷居の向こうで痛い痛いと泣いている声も聞こえる。男の子供かと思ったら若い金髪の姉ちゃんだった。そういえばこんな痛い思いをするのも初めてじゃないか?何で私は泣いていないんだろう。と思いつつ痛みが我慢できず呻く。


そして私の番になり、お医者さんが足を診るのですがまたしても「断絶してる」「2cm裂けてる」「ちょっとヤバイかも」等ヤバそうな単語が飛び交っている。とりあえず足を洗うことになりました。
洗おうと触れられる度に痛すぎでアッー!だの何だの呻き声が出るし足がビクンビクンと意思と関係なく動いくので「これは麻酔しないと洗えないですね(半ギレ)」と明らかに片方のお医者さんの声色から怒りがにじみでているではありませんか。本当に申し訳ない。
そして麻酔を患部に打つのだが…いー!たーぁ!!
あの痛みMAXの時並かそれを越える程痛い。お医者さんも「これを越えれば楽になるから頑張って」といいつつ私の腕を押さえる。暴れないように。
結局4、5発打ったんじゃないかな?真剣に指がもげるかと思ったぞ。
でもお陰で麻酔が効き始めてから足が麻痺して痛みが弱まってきた。
麻酔が効くまで放置されている2、3分の辺りで漸く余裕が出てきたのか「そういえばアイカツ見逃したなあ…」とオタクらしいことを思い始めました。
やはり最も思考を支配するのは痛みなのかも知れない。



その後洗浄と縫合。縫ってる間も場所によって痛かったけどさっきに比べたら呻く程度で余裕で我慢できるぜ。
包帯などで固定され、包帯の上から久しぶりに自分の左足を見た。包帯の隙間から「俺シャアレッドに色替えてみたんだ☆」「俺いつもより膨張してみたんだ☆」という主張がビンビンに伝わってきた。なにこれこわい。
縫合してくれたお医者さんから「親指は骨折している」「中指周辺が裂けていたけどギリギリ大丈夫だった」と教えて頂いた。
「ギリギリ大丈夫」というのは骨がギリギリ露出していなかった。露出していたらそこからバイ菌が入り、骨が腐って指を切除しなければならないのだが、ギリギリ見えていなかったのでその心配はないということだそうだ。なにそれこわい…!
そして松葉杖のチュートリアルだ。これもまた生まれて初めての経験。兄弟が10年以上も前に骨折したことがあったけど膝下全部ギブスで全然使っていなかった記憶しかない。こんなにカロリーを消費するものだとは知らなかった。
今この記事を書いている時も外出先で少し使った程度なのに脇の下や胸の筋肉が筋肉痛になっています。



縫合中に誰か診察室に来ていると思ったけど、お医者さんに後にしてほしいと言われている男性がいた。包帯を巻いてもらっている時に入室してきた彼は光が丘警察の交通課の方だそうだ。
 ! そういえば轢き逃げされたんだった!もうずっと「痛い」しか考えてなかったので割と忘れていた。
私の症状は縫合中先にお医者さんから聞いていたらしい。事故の状況、ナンバープレートの内容(意外とまだ覚えていた)、犯人の特徴などを説明した。
すると「この後『面割り』があるので署まで来てほしい」と言われた。面割り(漢字あってるのか?)とは犯人の顔を見て特定することだそうだ。ドラマとかでよくあるあれかあ、と少しワクワクしてしまった。
轢いたと思われる人は署にいるらしい。病院を出る時間は21時50分だった。仕事早すぎだろ…!
病院を出る前に!と止められて破傷風の予防注射を受けた。一瞬ほんの少しチクッとしたと思ったらもう終わっていた。早い。足が痛すぎて長すぎてそう感じたんだろうか。
破傷風の予防注射は今日注射したら一ヶ月後と一年後の計3回受けなければならないらしい。忘れないように日付の書いてあるカードを貰った。有難い。
また、今日行ったのは現状の処置なので必ず近日中、明日にでも最寄りの病院で傷の具合を見てもらうように言われ、宛名のない紹介状も頂いた。後は痛み止めや抗生物質。松葉杖は保証金5000円を払って貸し出しだ。
聞けば「新宿『区』の病院」らしくて最寄り駅は目黒だったか目白だったかだそうな。確かにこの足では通うのは無理だなあ。



そのまま交通課の方の運転する車で光が丘警察署へ。
光が丘はうちの最寄り駅?と言っても差し支えない距離なのでここからなら帰るのも楽そうだ。そのまま交通課の個室へ。また別の刑事さんがやってきて私に事故の状況、轢き逃げしたトラック、運転手の人相などを聞き、それに答えた。
この時の内容は供述書にまとめられます。刑事ドラマとかに出てくる…!こんなミーハーな被害者は良くない。
供述を取った後、暫く待った気がするけど今まで精神力体力ともに消耗していてよく覚えていません。
活字で印刷されできあがった供述書の内容を再度刑事さんと確認し、訂正し、また印刷し直し…と経て供述書が完成。
それからまた暫くして、別の個室に呼ばれました。面割りです。暗い部屋の四角い窓から隣の部屋を覗き込みます。隣の部屋で事情聴取を受けているのは長髪の帽子を被っている作業員風の男性でした。
「運転している時は帽子を被ってなかったんですが…」と言うと刑事さんが男性に帽子を取らせました。何でこんな小細工を。顔の向きのも私から見て右向きに…轢いて目が合った時に近い感じにお願いしました。
あー!目の感じがすごく似ている!あの「やべっ」って時の目と。「似てるじゃあ困るんです。そいつで間違いないじゃないと」と刑事さん。まあでも双子の兄弟でも無い限りこの人です。面割り終了。
刑事さん曰く替え玉を逮捕させ、裁判になってから自分はやってないと主張する事案もあるそうで、そうなると無実が確定し逃げられてしまうんだとか?なのでそうならないよう面割りがあるのだそうです。
トラックの写真も見せられました。白だと思っていたんですが写真だとメタリックカラーで全然色が違う。事故に遭ったすぐ傍のコンビニの光で白く見えたのかな?私を轢いた時に大して積んでいなかったトラックの荷台にも写真では色々積んである。明日仕事をするつもりで積んだんだろうなあ。他の特徴は私を轢いたのと全く同じなんだけど。
何故運転手の人が逮捕されたのか。刑事さんから説明があったのですが私は運転免許を持っていないので知らなかったのですが「運転手は人を轢いたら必ず通報しなければならない」義務があるそうですね。
それを破り、轢いた、その上逃げた。と、この罪は大変重いのだとか。
それもそうだ。私が生きていたからまだ良かったものの死んでいたらどうするつもりだったんだろう?この事故はどうなっていたんだろう?
まあトラックに明日運ぶ積み荷を積んでいる時点でそういうつもりだったのは明白です。
それにしても展開が早いなと思い質問したところ、とにかく「ナンバープレートが決めてだった」とのこと。まあ「地名000 ● 00-00」って完全に覚えてるうちに連絡したからなあ。
どこが所有しているトラックか、誰が運転しているか直ぐに特定できたらしく効果が絶大だったことが伺えます。覚えてて良かったー。
警察の人にも冷静すぎると言われてしまいました。母にも「去年あんなに取り乱してたのに」とも。
去年?ああそうかあれのことか!と去年の経験から今回大して焦らなかったのではと何となく予想がつきました。(後述)
「では今日はもう遅いので詳しくは明日」と私や一緒にいた親は帰ることになりました。時間は0時頃でした。私達が帰ってもまだまだ運転手の人と刑事さんの取り調べは続くんだろうなあ。お疲れ様です。



刑事さんが少し話してくれたんですが、光が丘署の交通課には二人しかいないそうです。病院へ私を迎えに来たあのお二人のことでしょうか。なので同じ署の別の課の刑事さんもヘルプで手伝っているんだとか。今日だけで管内で交通事故で4人逮捕だそうです。大変過ぎるでしょう。
東京都内での通報も一日2000件、その中には「水道が壊れた」「ゴミを拾ってほしい」等しょーもない通報もあり、無視すると抗議の電話がかかってくるとも。半分テレビのネタかと思ってた。
私がマジで轢かれている裏でこんなことで通報されているなんて。この記事を見た人が少しでもしょーもない通報を自重してくれれば幸いなのですが。



家に帰ってから、寝る時は足元にクッションやタオルなどを置いて左足を高くして眠ります。
病院でお医者さんから指示がありました。確かに心臓より低い位置にあると血が溜まってドクドク脈打って余計に痛くなりますね。
ここで救急隊の方に預けてから見ていなかった携帯を見ました。
妹から「大丈夫?怪我の具合を教えて下さい」とメールが来ていました。
妹は私と母にそれぞれ必要なことだけ聞いていたようでした。うわー勘違いしてしまって悪かったな。普通に優しい子じゃないか。
良かった…事故に遭った家族を心配しない人なんていなかったんだね!
…ん…カーチャン…。

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そして翌日。
まずは最寄りの整形外科のある病院に破傷風の注射ができるか確認し、診察してもらいに行きました。レントゲンのコピーや紹介状を提出。診察時は包帯を取って患部を見てもらいます。
するとお医者さんから「折れた親指はもう同じ形には戻らない」との意見が。ええーっ!?まあ指らしい形に戻らないとかいう意味ではなく、親指は常に靱帯に引っ張られているのでその引っ張られている時の形状のまま骨が再生し、前と同じ形状にはならないよ。という意味だそうです。それくらいならまあいいかな?指が指でなくなる訳でもないし、ちゃんと動く指が5本あるならそれでいい。骨折もろもろ全治一ヶ月だそうです。大して長くないし良かったかも知れない。
あと昨日洗浄してもらいましたがまだ血が出ていて、縫った周りなどはまた洗わないと膿んでしまうので洗って下さいとの指示がありました。
抜糸は一週間後にできるそうです。



そして家に帰って患部を洗うことにしました。一日経っているし痛み止めの薬を飲んでいるにしても、触るのも辛いくらい痛いんですが。
ここで初めてまじまじと自分で直接左足を見ました。まだらに変色しているしパンパンに腫れている場所もある。中指周りは黒い糸でびっしり縫ってある。指をぐるっと囲むように…。
ここで漸く、昨日ずっと「軽く指がもげるくらい痛」かったのがマジでもげかかっていたのだと気がついて血の気が引きました。皮一枚ならぬ骨一本で繋がっていたんだなあ。ああ、だから「プラプラ」だの「骨がギリギリ見えてない」だの…。こわっ。
軽く触るだけで痛いので念入りにはできなかったけど固まった血をある程度落として、新しいガーゼ等で病院で巻いてもらった感じに巻き直しました。



その後昨日の病院や警察から連絡が。病院は治療費の支払いに関しての連絡だったのですが、相手方と連絡が付いていないので保留にして頂きました。28日まで待ってくれるそうです。
警察からは実況見分に立ち会ってほしいとの連絡が。用意ができ次第、有難いことに車で迎えに来てくれるそうです。まあ今は歩くのが困難ですし。
始めは轢いたトラックを見に埼玉まで行くという話だったのですが、トラックを光が丘まで運んでそこで見るということになりました。
私を気遣ってわざわざ大きめの警察車両で迎えに来て頂いて、着いた先は事故現場ではなく警察署でした。警察署の裏の駐車場?に私を轢いたものとソックリなトラックが置いてあり、そこで実況見分が始まりました。
いや似てるなあと思ったけど見れば見るほど…これだよこれ!ソックリさんではなくご本人さんですよ!
昼の日差しで見るとメタルカラーのボディが白く見える。ナンバープレートも同じもの。運転席の高さや荷台の高さも全く同じです。
事故の時どういった順序でどう接触したかなど聞かれ応対しましたが、ここで警察の方が証拠の採取や痕跡や寸法の検証などを行っていて、うわーCSIみたい!と内心ちょっとミーハーっぽいことを思ってしまいました。一番好きなCSIはマイアミです。
事故の際に着ていた衣類(雨合羽やズボン、靴など)を持ってくるよう連絡があったので持ってきていたのですが、何と既に母が洗濯していました…!まだ使うし血まみれのものもあったし、ということらしいのですが。
「もしかしたら紫外線(だっけ?)で何か見つかるかも知れない」と刑事さんは仰っていましたが、ちょっと怪しい気がしますね。まあ昨日警察から何も言われなかったので、今後必要のないものと思ったのでしょうし仕方ない。
それでも念のため衣類は警察に提出しました。この足だし向こう一ヶ月は事故時の格好で外を歩くこともないだろうし。
そうして実況見分と衣類の提出も終わり、帰りも行きと同じ車両で家まで送って頂きました。何て親切なんだ。お疲れ様です!




今のところ私にはトラックの運転手が何と供述しているか、罪を認めているか等は何も伝わってきていません。
運転手が勤めている企業の保険会社から連絡がくるとは刑事の方からお話がありましたが。
今後どんな展開になっていくのか…刑事事件なのですがこじれたら裁判とかになるのだろうか?なったら被害者の私は確実に出ることになるだろうなあ。
事故のあった日、病院から警察に向かう車の中ではとにかく医療費は貰わないとな…とは考えていましたが、今こうして左足がひどい事になり、親指の骨は元の形に戻らない…中指も縫合されているし、何よりめちゃくちゃ痛い。
こうなったのはどうしてかと言ったら、轢かれたからに他なりません。
誰にも轢かれなければこんなことにはなっていない。運転手は間違いなく罪を犯しています。しかも逃走という上塗り付きで。
当たり前なんですが、逮捕されて然るべきなんですよね。
この事故はその日のうちに運転手が拘束されましたが、被害者が亡くなったり、目撃者がいない事件は…。轢き逃げ犯が野放しなんて、そんなの絶対おかしいよ。



まあこの事故に関しては何かあればまた記事にするかも知れません。



それにしてもこの時期なんだか呪われてるんじゃないかな…。
去年もこの位の時期に縫った場所を抜糸してもらったら、家に帰ってからそこに溜まってた血溜まりが破裂して救急病院に運ばれるなんてこともあったしなあ…。
この時は本当に焦った。マジで死ぬかと思った。今回の事故で命に別状はないと早い段階で感じていたとはいえ、痛み以外で特に思考が乱れなかったのはこの時今回の分までテンパったお陰かも知れません。
どう見ても人生の記録更新した出血量ドバドバだったので「結構血が出てますけど輸血の必要はあるんですか?」と救急病院で縫って頂いたお医者さんに伺ったところ「(私の体格なら)輸血が必要なのは6リットルの出血からですが、今回はせいぜい4リットル強しか出ていないので大丈夫ですよ」と言われて安心したけど内心4リットルって結構出てんじゃねーかと突っ込まずにはいられなかった。
まあ輸血は怖いのでしなくて済んで良かったんですが。



伊達に生命線の長さ3cm以下じゃないぞってことなんでしょう。





轢き逃げ (光文社文庫)


轢き逃げ人生―ワールド・スーパーノヴェルス (1979年)


交通事故に負けない被害者の本